概要図の読み方


目次

概要図の説明 はじめに

「人の生を理解するための知識の体系図」この図で何が言いたいのかを問われたらこう答えたい。
しかしこの図だけでは読み方の説明や補足が全く足りない。正しく読めば調和の取れた理論だがその理解に至るには説明がまだ足りない。

既存の学問分野との付き合わせ作業で大きな矛盾が出なかったのは一応収穫だ。説得の根拠をやっと一つ手に入れた程度の段階だが。

図の読み方を知って、読んだ人それぞれが自分の生にたどり着いて欲しいという狙いの図。この図を公開する最終的な目標がこれだと思う。

全学問分野を極めろという突飛な主張ではなく、各区分を理解するための手掛かりや一例として取り上げた学問分野を示している。自分は専門家ではないので詳細は分かっていないが、各区分の概要だけ理解できれば十分。概要とつながりが理解できれば全体が見える。そのような視野が提示できることを期待している。

何のために勉強するのか、勉強したい分野を見つけるきっかけや、各分野の立ち位置が一望できるところがポイント。売りだ。

そのために4つの流れと図書分類表の関連も示す。(2022/11/27)

概要図を参照しながら理論を深く理解する

改めて⇦と⇨の関係について定義を見直す必要を感じる。
内的秩序と外的環境の関係、つまり←と→の関係について考察を続けてきた積み重ねと、図にして見えてきた新たな視点に齟齬がないか慎重に擦り合わせをしたい。

一つ確かなのは←→と⇦⇨は異なる概念で、おそらく↑↓と⇧⇩も異なる。しかし関わりのある似たような概念だ。
図にしたことで生まれた新たな記号(⇧の矢印)は元来の4つの流れに比べ、より具体的な作用を意味している。具体的かつ詳細な作用を記述するために必要な概念として図上に現れた。
図を見ると最初に定義した4つの流れというほどシンプルな構造にはならないと気づいたのが10/1の時点でその検証が始まっている。既に概要図によって正確な大枠は示せているのでその図の読み方を探究しよう。

←→と⇦⇨の概念の違いは、←→が基礎的な概念の大枠であり、⇦⇨がより詳細な事象の関係を示す際に使う記号である。

問題は↑と↓の流れだ。これを説明するためには、やはり⇨と⇦を持ち出すことになるか。⇨対⇦のせめぎ合いが常に各層に存在し、その進退に応じて⇧又は⇩が起こる。

⇧の過程は心理過程というよりは行動の要因が繋がる過程を意味している。言い換えると生の成り立ちの過程であり、行動の意志とは別に個人が形成される過程を意味している。この意味では←と↑は同質の現象である。⇦⇧⇦⇧‥で繋がった一連の現象と言える。
この横の行きの流れ(←)は、その生物個体が生存している限り決して途絶えることなく続いているものだ。人がいても居なくてもこの流れは存在するが、全ての環境層において、横の行きの流れ(←)と異なる固有の流れを維持する作用があり、その固有の流れが様々な生物のあり方として観測される。
このように見れば←↑に逆らう固有の作用を持つ系が生物を意味することになる。

縦の行きの流れ(↑)の過程に現れる心理作用の要因は、身体と外界の接点である各環境層の境界ごとに存在すると考える。
それに対する反射や抵抗の作用として⇨が現れる。しかし、この視点のみでは環境層の間の入れ子関係が説明できなくなるので←→の関係性が↑↓に影響することも抑える必要がある。こうして考えると縦とか横という見方は大分観念的なものであることが改めてわかる。

⇩についてはまた詳細な説明がいる。⇧ほどにストレートで自然な流れではなく、まずは地道な⇨の活動が積み重なることで次第に⇩へ影響力を発揮してゆく。
この過程は認知革命~農業革命~産業革命~情報革命の人類の発展の流れにも見ることができる。(2022/10/4)

⇦と⇨の均衡について重要な観点。
宇宙からの⇦と地球の⇨の関係が安定した周期を保った状態が続く程、地球の生物が生存できる環境は長く存続する。この状態において⇦は概ね一定であるため、それに適応するのに都合の良い生態系が形成される。
しかし人の営みによる物的環境(B)の⇨が行き過ぎるとバランスが崩れてしまう。

概要図で示せるのはどの辺りまでだろうか。
図上で示される→の長さによって、個人の小さくて短い意志と、それに繋がる人の歴史を示せるだろうか?個人の寿命の短さとそれを引き継ぐ次世代とのつながりも示せないか?

←の方向に更新されながら伸びてゆく現象を示す図であるなら、それに伴い伸びてゆく→は働きかけを積み重ねて変化し、命尽きながらも次世代へ引き継ぐ様を意味しているのか?世代は機械的に繋がるものではない。必死に生きるための行為の積み重ねによって繋がるものだ。それが不十分なら死滅してしまう。

→が←の方向に延長されてゆく様を考えるためには、人の生き方が世代を超えて引き継がれる様子を探究する発達心理学の知識を活かせそうだ。これを通じて人の一生がどんな流れの中にあるかを示せるか。

世代の引き継ぎがどのように起こるかを図上で示す方法は単純だ。

個人が死ぬ時に他者が生き残っていれば心的環境(G)の外的環境(他者)と内的秩序(個人)が入れ替わって引き継がれるだけだと理解すれば良い。
残った他者もまた、固有の内的秩序をもつ存在だからだ。生物的環境(C)の繁殖に成功していればそうなる。4つの流れは維持され、その時々の外的環境は次世代に引き継がれる。

本論の公開は中途の状態ですることになるだろう。
その時に最低限伝えたいことは何かを押さえたい。たとえ切れ端だらけでも思いつきのかき集めでも良い。それを納める地図、器さえ作れたら十分ではないか。
だから図のレイアウトはなるべく分かりやすくしたい。多分これが自分の表現というやつになる。それを他の人に引き渡したいだけ。(2022/10/11)

概要図の読み方の説明

概要図は理論の統括的なものになっていると思う。一目で全ての要素が見渡せるような構成になっているが、なぜこのような図になっているのかは、一つ一つの構成要素を明かし、説明しなければ理解が得られない。

そして、ここで全てを説明したとしても、明らかになるのは基礎的な原理だけだ。専門家による詳細な補足や検証を経て初めて価値を持つ理論だと思う。

概要図は一見←と→の関係しか示せていないようだが、上の図とも対応関係が示せる。上の図は入れ子構造も示している点が面白い。

図の矢印の左の先端は現在を意味しており、それが常に←の方向に更新されながら進み続けていることを表している。
但し、横の帰りの流れ(→)の方向は時間の逆流を意味するのではない。横の行きの流れ(←)の中で固有の系が維持されていることを意味している。

よって図の⇦の先端は紛れもなく現在を示している。その図の中にある一番小さな⇨33が自己という人の個体であり、その⇨33の先端は他者と自己との境界である。

それでは行動は図上にどのように示されているか?
行動は個人の生命を維持する働きだ。図上で→は←に対する物質的な状態しか示していない。←の中で→が異なる系を維持しており、皮膚により空間と隔てられた身体の内部では←に伴う変動の中で固有の系、つまり内臓の働きが観測される。
これが生命の働きであり、その延長として行動は現れる。自然環境の中で身体を維持し続けるためには←の流れの力とは異なる方向の力で押し返すような作用が必要だ。この押し返す力(→)が生命の働きだ。

その押し返す力の現れ方はさまざまなレベル(環境層)で見られる。
目に見えて現れる行動が分かりやすいが、身体を維持する臓器の働きもそうだ。何となくこの考え方は伝わるだろうが、整理された考えとして示したい。

⇧35から⇩36へ折り返す条件は謎であるが、↑の流れの余剰を利用して↓を働かせることで↑(生命活動)を維持しているといえる。
階段を横から見た図にも見える概要図は、まるで左へ向かう↑の方向へ自然に人が生かされていることを示しているようだ。人は自律的に生きているのではなく、自然に強制的に生かされていることを示す図とも言える。
⇧35から⇩36へ折り返す条件は?折り返すというよりは⇧35から⇩36は一体となり連続した現象である。実は区分されておらず区別がない。↑の中に↓があると考えることも出来ることから、←の中に→がある入れ子構造が縦の流れにおいても見られることになる。
改めて4つの流れの矢印が単なる概念であり、実際の方向を示す物ではないことを確認しておきたい。

人の意識で考えて行動すること(↓)は、起きて何となくブラブラすることやぼーっとしている時、つまり無意識(↑)の派生として現れる。

概要図を見ると、人がただ大きな流れに押しつぶされる小さな存在に見えてくる。
実際にその通りであり、それを示す図なのだ。これは私たちの生きている実感や意味付け、楽しさや生き甲斐など、生の活力や喜びなどの価値に気づき直すための本論の主旨に合わないものと捉えられかねないので何とかしたい。

←と→は常に各環境層ごとにせめぎ合っており、そのバランスの中に個人は存在している。そのせめぎ合いの状態は常に全身で受け取っており、行動に費やされるエネルギーはそのバランスを保つために向けられる。

↑の流れにおいて無意識に感じている←と→のせめぎ合いとバランス感。
これが私たちの生きている実感を支えている気がする。←と→は常にせめぎ合うのではなく、ときに美しい調和の状態にもなる。これを「安らぎ」と感じるのだと思う。

概要図に行動(↓)の要素が示せないことに気づき始めている。
しかし↓は私たちが覚醒した状態ですることの全てが含まれる流れであるから←→↑との関連から探ってみたい。↑からの繋がりで、↑の強い制限、影響力の中で↓を発現させる点は大事。

↓は内的秩序の行使。自然に保たれている(←→)各層の内的秩序の中から使えそうな物を使う形で現れるのか?

詳細を明らかにしようと考えると↑と↓の関係ほど難しいものはない。
本論の内容もさわりというか、色々な意見のうちの一つというか、真実の一面に過ぎないものと考えるべきだろう。本論は大きな枠組みを示すにとどまり、事実を検証する段階には進めない考えになりそうだ。マクロとミクロを同時に考えることは人にはできない。(2022/9/14)

概要図から分かること 伝えられること

時間経過に伴う↓の積み重ねが→として残り続ける。
この関連についても図上で説明できるかもしれない。本論における↓は図上では⇨の作用として示されている。内的秩序から外的環境へ働きかけ⇦の流れに逆らうことが⇨の役割だ。

ここで思い出したのは各層ごとに内的秩序と外的環境の調和を保つ働きがある点。
自然環境の⇦から始まって⇧⇦⇧⇦の順に上の層へと影響が連鎖するが、その連鎖の様相は状況によって大きく変わる。

例えばとある都市において、自然災害が自然環境(A)の⇧で発生した場合において、物的環境(B)の内的秩序と外的環境の関係が災害対策の効果で均衡していれば物的環境(B)以上に自然災害⇧の影響は強く及ぶことはない。それに対して災害対策のされていない都市は死傷者が出ることから生物的環境(C)から上の層にも大きな影響が及ぶ。

各環境層の内的秩序の強さは、その図上の面積の広さで示せる。
図上の内的秩序の面積が広いほど内的秩序の調和が強固であることを意味する。なぜなら内的秩序を運用して外的環境へ働きかけることが成功すると、外的環境の働きかけを受けた一部が内的秩序の要素として取り込まれるからだ。
これが積み重なると次第に内的秩序の範囲は大きくなり外的環境はその分狭くなる。

他にも様々なことが図上で示せると思う。
まだ発見されていない気づきをもたらす図だと思う。よって現時点で分かっていることのみを示すための仮のものとして発表することになるが、それを受け継ぐことが可能なように伝えること、残る不明点が明かされる可能性への言及もしたい。

人と自然の関わり、言い換えれば人類と自然界の物質の関わりについて俯瞰する視点による新たな気づきへの期待。そうしたものを託すものでなければいけないと思う。

図や理論の概要を理解するためには、環境層が入れ子構造になっているために影響が連鎖して内側へと及んでいく仕組みを理解していなければならない。これが通じないと何も伝えられない。

そのために7つの層と内外の関係はより丁寧に述べる。
他にも「これはどういうこと?」といった思いがけない疑問や突っ込みが寄せられることは避けられない。だからこそ、これだけは譲れないという考え方の中核は押さえなければならない。別の理論の方が優れていると教えてくれる人もいるだろうし。

基本的に専門的な知識や科学的な姿勢とは一線を引いた、自然科学・心理・社会科学・歴史の4分野のいいとこ取りで、その4分野を繋いで一つの枠組みに収める発想で述べたのがこの理論なので、各分野の詳細でリアルで実用性のある内容には全く及ばない。

よって突っ込みどころや詳細な記述がなされていない、誤った所もあるだろうが、それも含めてこの大枠が意味する所を受け取って貰いたい。寛容な心で受け取って貰えたらと思う。(2022/9/22)

概要図を見ながら考察を深める

生物的環境(C)の内的秩序と外的環境の関係について。
内的秩序は自己を含む周囲の関わりの深い人々による生態的な行動を示す区分、外的環境は他生物の群れと他者の集団からの影響を示す区分だ。生物学や自然人類学で研究対象となる事象が生物的環境(C)に現れる。生物的環境(C)の内と外は繁殖や捕食のための競争関係になるということだ。

従来は⇦12も⇨13も対等な競争関係であり弱肉強食の混沌としたものであったが、農耕牧畜で食物となる生物は囲い込まれ、人同士も法律で危害を加えることを禁じたり、家族や社会の制度が整うことにより、⇨13つまり食欲や性欲や征服欲に基づく生態的行動が達成しやすくなっている。これは産業や文明の恩恵だ。

一方で現代は生物的環境(C)の外的環境の容量バランスに異常をきたしている。他生物が減り人の集団が増加し過ぎている。⇨13が圧倒的なのだ。
言うまでもなく人が物資を利用して築き上げた文明の力の賜物だ。文明は主に物資源を利用するので物的環境(B)が深く関わる。
この物的環境(B)の⇩41 ・(9)・⇨8・⇩42がどのような流れで文明を築き、生物的環境(C)のアンバランスを起こしたかの詳細を以下に示したい。

生物や人は年中捕食や繁殖行動をしているわけではなく、身近に食料や繁殖相手がいても興味を示さなかったり、そうした相手にありつけない時は移動しながら探したり、捕食や繁殖の擬似的な行動、つまり遊びをすることになる。

こうした行動をするためには余力がなければならない。
その余力の総量は⇨13がどの程度達成されたかにより決まる。ここで(9)が何を意味するか改めて確認したい。この区分は個人の周囲にあって手に取ったり自由にできる物によって形成される環境条件だ。この環境条件は周囲の地形の有り様も含むため、自由に歩き回れる範囲も意味している。

余力を用いて周囲を自由に歩き回り物を手に取る。
その物を用いて離れた物[6]へ働きかける。言語や物資源、道具や他者を用いて、手足の延長として対象に働きかけること⇨8で相手[6]の状態を変える。これが加工や開発の営みだ。こうして築かれた(9)が⇧10で間接的に[11]に影響を与える。
木の棒を使って高い所にあるリンゴの実を取る行動は(9)に含まれるが、ビニールハウスでイチゴを覆うことでイチゴが良く育つのは⇧10の現象に区分される。[6]への働きかけによって間接的に[11]を自らに有利な状態に変えるのだ。

物的環境(B)の(9)⇨8⇦7[6]の関係について述べる。
(9)には人の駆使する様々な道具や言語や組織が含まれ、[6]は代々厳しい自然環境=神の存在と結びついた掟などの慣習や自然の脅威そのもの、災害を意味していた。
現代はそれに代わり科学の成果により物資源から取り出した人工的な巨大エネルギーを用いた構造物を管理操作するために、人を組織的に管理する法律が整備されている(法律は明文化されるため、物的環境(B)に含まれる)。これが現代の[6]だ。
物資の力を後ろ盾にした法律が⇦7ならそれに基づいて権利を用いるのは⇨8になる。これには言語を示す「文字」という物的な要素が用いられる。

物的環境(B)は上述のようなやり取りがなされる場だ。
コントロールできない自然の脅威に従った「掟や慣習」が長い自然への働きかけを続けた末に、ある程度コントロールできる自然物の持つ巨大な力に基づく「法律」に変わったという訳だ。
このように、自然物の巨大な力に向き合う小さな人の営みの関わり方の構図は人類史を通して一切変わっていない。

あまり詳細は述べられないが本論は物的環境(B)が人の文明の中心であることは示せる。上述の内容は大雑把だが誤りはない。文字も物も人の集団も含めた関わりを示す物的環境(B)の定義は丁寧な説明が必要だ。

もう一つの問題⇩42について。
端的に地球温暖化などの環境問題を引き起こす構図を示す区分だ。狩猟採集時代は一方的に⇧5で供給を受けてきた自然の恵みとの関係がなぜこのようになったのか?
既に多くの研究がされている分野だがポイントは⇩41で見られた概念である「余剰」だ。物的環境(B)に行動の余剰が及び(14)と[11]の関係が歪になったように、自然環境(A)に物的環境(B)の思いがけない余波が及び(9)と[6]の関係も歪になった。
(9)と[6]の関係の歪さについては更に深い考察が必要だが、概ね[6]が人為的な働きかけにより手に余る程の大きさになったことに見られる。(9)に取り込んだつもりが[6]を制御不能な化け物にしてしまったとでも言えるか。

ところで、図上で入れ子構造で示されている自然環境(A)の内的秩序である地球と物的環境(B)は同じことを意味するのか?
物的環境(B)は一定の容量を持つ(4)を人が触れられて操作できるもの(9)とそうではないもの[6]に分割しただけだと考えればその通りだが実際には違う。

(4)は人が住めない場所も含めた地球の構造部分も含んでいる。[6]がそれであり、開発や資源の採掘により[6]が極端に痩せてしまった結果(4)にも影響が及ぶ。
[6]=物資源に対する際限のない働きかけにより⇩42に該当する環境破壊が起こることが図上に示されている。複雑な問題なので解決は簡単ではないが、人と自然環境と物資源の関わりについて全体の構図が示せたと思う。

ここまで考えて本論は様々な社会問題に切り込むツールになり得ると感じた。
そうした個々の詳細な問題に対して意見を求められた時のために、自分の立場をある程度決めておく必要があるのかも知れない。
そもそも本論は問題の解決のためではなく、問題は基本的に避けられないものとして、その事実を割り切るための考察が元になっている。自分は活動家ではなく思想家なのだ。(2022/10/25)

物的環境(B)と生物的環境(C)の多層性について

物的環境(B)と生物的環境(C)の内外辺りの検証が不十分なのでやりたい。
これは人の社会の特徴である農耕と産業に深く関わる環境層だ。
大事な点は内的秩序の中心である個人の生とその外的環境の境界までの距離についてだ。例えば、物的環境(B)は産業構造の発展によって内的秩序が広がり境界までの距離は延びたのは分かる。ではその境界はどこにあって、その外との関係はどうなのか?
内と外は異質の反発し合う関係ではない。外的環境の働き(⇦)はある程度の強制力を持ちながらも内的秩序(⇨)を破壊する程の強さではない。個人と外的環境が物を介して繋がっていることを示すのが物的環境(B)だろう。

物は自由に手にすることができる一方で、その物の特性は人を制限する。「人は物にはなれない」というテーマに触れる部分。

⇧10と⇩41の違いについても考える。⇧10は人工物も自然物も含めた物的な環境条件の影響を示す。⇩41は生態的な行動により物に働きかけることを示している。

本論の公開にあたり、謎は謎のままで解読不能でも良い。
分かったところだけ示せば良い。物的環境(B)も生物的環境(C)も産業とか農耕まで考え出すから複雑になって分からなくなる。
まずは本論のテーマである個人中心の像を考えて図にすれば良いのだ。物的環境(B)も生物的環境(C)も内的秩序を産業構造にまで広げなくて良い。分からないところは「自分の内的秩序ではない」のだから。それだけで良い。そういうモデルであって欲しい。⇩40も⇩41もその時々の気まぐれで発生するのだから。
これは考察の放棄ではなく、内的秩序の多層性も本論で示される個人の在り方の基本的な性質であることを述べたものだ。(2022/10/25)

図で示される生命のあり方と矢印記号の意味

人の生を形成する全てのパーツを4つに分類する。
認識し得る事物や事象には名前や言語が割り当てられている。4つの分類の違いは流れの方向の違いに現れる。
流れには方向性があるため、ある場所から異なる方向を見る視点に置き換えることができる。

つまり4つの流れを定義することは、その方向性を意味づけることである。
その一つである横の行きの流れ(←)は過去から未来へ進む時間であり、逆らいようのない絶対的な力・摂理・法則だ。

←を明らかにするために、かつては思想家や宗教家も関わったが、現在では物理、数学、化学など自然科学系の分野で探究が進められている。
この流れの始点と終点を示す場合、宇宙の始点であるビッグバンから広がり続ける果てが終点となるが、これを一方向の流れとするのは恣意的あるいは宗教的に思える。
だからこそ「流れ」という意味の確定した語ではなく、曖昧で様々な意味を持つ←という記号を用いる価値はあるだろう。4つ示した他の流れの概念と区別さえできれば十分なのだ。

横の帰りの流れ(→)は人の死から生へ(発生から未来へ)脈々と受け継がれる人の営みの歴史を示す流れだ。これは←に比べれば始点も方向性も分かりやすい流れと言える。

但し、→の概念は人の歴史が過去から未来へ向かって流れて行くことを意味するのではない。
人は今を生きるために一瞬一瞬を死(←)に逆らって生きており、その連なりが未来へと続いている。これが図上で示される→の意味なのだ。
よって図上で示される通り、人の生の本質とは→の矢印の先が更新される方向へ進むのではなく、→の末尾が継ぎ足されながら続いているのだと捉えられる。世代を繋いで生きる人という生物の様態をも図上で示すことが出来ていることに我ながら驚きを覚える。(2022/9/23)

概要図の縦幅が示すもの

概要図の⇅の幅について。
図では均等に示されているが、この値は一時点における内的秩序の広さ、強さを示すものである。ということは外的環境との関係も示していることにもなる。
この関係は全体における内外双方が占める割合で示すことが可能だ。固定的な範囲である地球全体に対して人はどの程度を内的秩序に取り込んでいるか?あるいは外的環境に飲み込まれているか?
外的環境は無限の広さを持っているわけではない。例えば、宇宙は広いが地球の資源は限られるように、脳の働きに限界があるように、限られた資源をどのように使っているかを内的秩序と外的環境の割合で示せる。それは本論の大事な観点だが、この考え方も概要図の各層の縦幅で示せることになる。

そしてもう一点。資源の量は限られるが、完全に不変ではなく変りづらいだけである。図上での⇦⇨(内的秩序と外的環境)の割合は比較的変わりやすいが、⇧⇩の割合は変わりづらい。これは環境層の境界が物性に基づき形成されているからだ。(2022/9/27)

概要図の完成時の感想と課題

概要図を作ることはできた。一通りの要素を整理して入れ込み、破綻のないものになったと思う。2次元の図に起こすのは立体化や現実的な説得の第一歩だ。

しかし、ここに至って綴る言語の自由度が減っている気がする。それは公開に向けて他者へ表現するための多くのフィルターを通そうとしているからだ。探究を重視する段階とは違う。

話は逸れたが進捗を確認しておく。概要図は中々の出来なのでこのまま使う。あとはこの図を理解するための重要な概念、4つの流れの本論を一つ一つまとめてゆく作業をする。概要はある程度出ているが、詳細を分かっている所までまとめることができていない。これをしなければ説得はできないので過去の文を一通り見返しながら必要なところを抜き出す作業がある。

一方で図上で不明な個々の部分の概要と説明。図と説明の両面から理解できるような構成にしたい。図を見ると、まだ明らかにできておらず、図の完成度も不十分である箇所が見えてくる。

○同一層ではすみ分けや境界によって分かれるのに対して、層間はもっとはっきりした隔離であり、それを乗り越えて行き来できる関係ではない。この点も図上で言及したいところ。

○そしてもう一つの重点である↓の流れ。
↑からの折り返しは物理的な流れが逆流することを意味するのではない。図上の記号で説明すると⇨と⇦の同一層でのせめぎ合いはやるかやられるかの競争。その結果が⇧に影響する。概ね⇧の流れの中に生命は存在し、⇧の流れに逆らえなくなれば死んでゆくのが大きな流れ。その中で⇩は僅かばかりの抵抗であり、⇧と⇩は強さが全く違う。

○そして図と要素の概要と同じくらい重要なことは、この理論を通じて伝えたいこと、この理論の意味についてだ。これも概要を述べる。一番最初に伝えるべき大事なこと。最近気づいた本論の冷たい本質と、↓の中に小さいけどかけがえのない生の本質があるということが伝えたいことの主旨。そのために生きているのだと気づくための道筋を示すのが本論の目的だ。

○そして不明箇所↓の流れを図上でどのように位置付けて説明するのかの問題。
入れ子構造の働きによって⇦⇧⇦⇧の繰り返しで↑に影響が及んでゆく。よって、それに対する反応である行動(↓)は⇨⇩⇨⇩の順に下ると考えるのが自然だ。

↓の情報的環境(D)が身体の外への働きかけの意味を持つことについて。
これは身体運動に伴う行動の現出そのものがサイン(情報的な)機能を持つという解釈だ。また、この行動の現出時における外的環境のあり方も、その情報の現れ方、伝わり方に影響を与える。
外的環境に多くのサイン(情報)を含まれる場合、つまり文化的、文明的に発展した状態であった場合は、発生したサインの伝わり方も劇的に変わる。例えば情報技術を利用してサインの発信をすれば大きな影響力が生まれる。

情報的環境(D)におけるサイン(情報)の現れと、生物的環境(C)と物的環境(B)における食料や物資への働きかけは区別される。例えばお金は情報の伝達によってやり取りされる一方で、食料や物資は現物のやり取りによって動くものである。

情報的環境(D)の外的環境が、現代の発展した知の集積であるという位置づけになりそうだ。
その一部を個人が認知したものが人的環境(F)の外的環境になる。そして情報を物質化したものが物的環境(B)における印刷物やデジタル機器などの文字情報となる。
物(B)と感覚(D)と認知(F)という情報の3つの様態が異なる環境層に区分されている点を強調しておきたい。筆者も論を立ち上げた当初はこの3つを一まとめに論じていたので読者が混乱しないように。

先入観がないからこそ大胆な発想と結論づけができた。しかし、いざ正しさを検証しようとすると、多くが思い込みや信念に支えられていたことに気づく。それは悪いことばかりではないが。

物的環境(B)の内的秩序から外的環境へ向けた⇨は、人が道具や物資を自由に使って外へ際限なく働きかけを続けることを示している。生物的環境(C)から物的環境(B)へ向けた⇩は人が道具を手にすることを意味する。
このように各層の縦と横の帰りの流れ(↓→)は人の営みのあらゆる側面を意味している。情報的環境(D)の⇨は他者や生物や事物への働きかけの起点を意味するのではないか。
そうすると行動は⇩と⇨の合成とする考え方と矛盾しない。自然環境の⇩に至れば現代の自然破壊にまで言及できるか。

この帰りの流れについてもう一点押さえておきたいこと。
意志や行動として自覚できるのは⇨だけで、⇩は⇨の結果として自然に現れる影響のため自覚されない。心的環境(G)の内的秩序が個の中心であり、行動へ向かう折り返し点(⇨33)となる。

情報的環境(D)以下の層における⇨の堆積は⇦と一体となり、外的環境の一部となる。内的秩序と外的環境の境界への働きかけは、積み重なることで皮膚にできるタコのように分厚くなってゆく現象に思える。人の文明の積み重ねは、物資を用いて外的環境の脅威から身を守る固い壁を築くことだからだ。

その壁が厚くなってゆく様子を図に示せるか?←と→のせめぎ合いの中で→が積み重なる。まさに→の定義の一つである「歴史」そのものだ。

概要図が←方向に時間経過に伴って引き伸ばされてゆく過程で、⇨方向の内的秩序は繁殖を続けて一緒に伸びてゆかないと引きちぎれてしまう。そうなれば絶滅となる。
他の生物であれば継ぎ足されるのは身体部分だけである所を、人は物資や生物や土地まで意図的に継ぎ足して引き継ぐことで生命を繋いでいる。(2022/9/20)

概要図に示された42区分の順番について

概要図に示す番号の順について。
現象の起こる順に並べると←→↑↓(→)となる。
→が2回入るのは→が←の中で身体が維持される自律的な働きを意味するため、意識的な行動の働きかけの結果を意味する(→)と流れの方向性が一致するからだ。この2要素によって→は成り立っている。
ただし両方示すと混乱するので↓に伴う働きかけの結果としての(→)※は↓に伴い発生するものとして表示を省略することにした。
※→の働きかけの結果として↓が起こるという考え方の方が行動の感覚に近いと思うが、⇩36に続く流れという意味ではこの記述も間違いではない。

人を中心とした流れで過去・現実・今にすると→↑↓だが←→↑↓←→↑↓←→↑↓でループしているので→↑↓←の部分を切り取るのも間違いではない。

←の一部であり遺す文明もない生物の一種であった原始時代の人にとっては←の圧倒的な流れの中にごく僅かな→が混ざった状態であった。よって←→↑↓の順がしっくりくる。現代の私たちの生の有り様を切り取るなら→↑↓←となるか。

そして、(→)を省略しないで正しく示すと←→↑↓(→)←→↑↓(→)←→↑↓(→)の繰り返しとなる。かつては微々たる影響であった(→)と←が向き合う構図が象徴的だ。(2022/9/30)

概要図の読み方 行動発現の過程

[1~5の区分の関係図]  
    ⇧5
(4)⇨3⇦2[1]


1~42の図上の区分の振り分けの変更について。
現象の起こる順に沿ったものにする。頭上の⇧は、確定した下の層の内的秩序が上の層の外的環境として引き継がれる入れ子構造を示している。図上では←→で相反する流れを内包しているように示されているが、←とは異なる固有の流れという意味で→を使っている。

↑は心的環境(G)まで到達するが、行動発現の過程はそこに至るまでの複数過程の複雑さに比べてシンプルだ。図上の⇩⇩⇩⇩の連続で一息に発現する。
行動は身体の働きをバランスよく統合しなければ成立しない。その働きが図上で感覚的に掴みやすい。

そうすると1~42に当てはまる記述ごとに分類した作業の一部を見直す必要が出てくる。それは編集作業中にも迷ったり疑問を持つことがあった⇨についてだ。
⇦の力の流れの中で自律的に維持された状態・結果として行動の要因となる内的秩序が⇨である。つまり、⇨3は⇦2の力の流れ中でも自然に状態が保たれる作用を意味する。
そしてその結果が(4)の内的秩序であると言える。作用が⇨3で結果が(4)、よって外的環境と内的秩序のNo.を示す枠も[外]と(内)で分けて示す方が分かりやすい。内を(内)としたのはやはり個の中心の同心円のイメージがあるからだ。

⇦の中で状態が自然に維持されたり、自然に変動する作用は⇨で示される自律神経の働きと言えるだろう。それは無意識下で起こる作用だ。

これに対して⇩36は何を意味するのか?
「意識的に」(内)を活性化させる信号を出して、身体を維持するための行動を起こす一連の流れを作る。それは⇨の作用(自律的な身体の働き)だけでは維持しきれない身体の働きを補う形で発現するため、同じ⇨の経路を使うことになるが、行動の特徴は各層の⇨が一瞬で繋がること。これは神経物質の伝達に相当する現象だ。
図上で示される一息で⇩⇩⇩が繋がる流れは行動に伴う⇨⇨⇨の働きを統合する作用も含んだものであると言える。但し、それも42区分に含めてしまうと図が複雑で見づらくなるし、行動によって起こる⇨の作用と⇦に対する自律的な⇨の作用はスケールも起こる仕組みも異なる。
自然に自律神経などの働きによって維持される⇨の作用の方がずっと大きく、行動によって起こる⇨は既に自律的に維持されている手足に信号を出すだけの作用に過ぎないのだ。これは意識を中心に自己の生を捉えている私たちの認識とは隔たりのある現象かも知れない。

上述の理由により2つの⇨は同じ系であるが異質である。
自律的な働きと意識的な働きの違いである。意図をもって既にある自らの手足や道具や文明の秩序に働きかけてその力を引き出すという行動の性質は、⇩の流れの神経系を通る一筋の信号によって成立する。それは⇧が⇩の折り返しに至るまでの⇦を少しずつ押し返す働きであり、生物が生きるために行う基礎的な働きと言える。(2022/11/14)

概要図に書き足した⇧35と⇩36

心的環境の上の⇧35と⇩36について。これは必要な要素なので足した。内部で折り返すことを示したものだ。

各環境層の内的秩序と外的環境の関係は、外的環境の流れの中に内的秩序が存在しており、外的環境の流れの影響を受けながらも独自の形態、構造、系を保っている入れ子の関係だ。これは無意識下でも、身体の働きが持続していることを意味している。

A図にも解説を加える。

←の方向に常に宇宙が更新されてゆく流れの一時点を示したもの。層構造は入れ子の状態を示しており、上下の幅が外の殻(外的環境)に占める内の殻(内的秩序)の大きさを示している。

内的秩序はその状態を保ちながらも常に外的環境の影響力にさらされることによって、少しずつ形を変えながら流れに適応している。つまりA図は←方向に更新されながら⇅の幅は変わり続けている人の生の一時点の状態を示したものと言える。(2022/9/30)

当たり前のことを思い出す視点

概要図の構造の正しさの証明とか、内容の詳細な記述とか、間違いの指摘は専門的な知識を持つ人がそれぞれ行えば良いと思う。知識の豊富な人は筆者より詳細な理解ができるし、この図で示されたことは取るに足らない当たり前のことに思えるかもしれない。
でも、その当たり前を足掛かりに私たちは成立しており、当たり前がゆえにあまり省みることのない視点を本論は示していると思う。(2022/9/3)


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