考え方の概要


目次

序文

独特な言い回しになるが、「個人が自分自身の行動を理解するための枠組み」として生まれたのが「4つの流れ」という考え方(=本論)だ。
人によってどのようにも見える世界を捉える視点の一つとして本論を提起したい。

これは自然科学が得意とする客観的に世界がどのように成り立っているかを示す俯瞰的な視点ではない。

例えば宇宙から見た青い地球の画像のように、正確に事実を伝えているように見えるが詳細な人の様子は分からないような概念ではなく、人がどのようにその青い地球の中に居るのかを捉える視点を示したい。
今を生きる私たちにとっては、この「居ること」の方が青い地球の像よりも重要な関心事であろう。

もちろん、青い地球の像も高性能な機器で拡大すれば人の像を確認できるだろうし、私たちがその地球に生きているのは自明だ。
では、どのように人はこの地球に存在しているのか?観測者が居なければ地球は存在しないのと同じだ。
人がどのように地球を捉えて関わっているのかを知るための、地球ではなく人を俯瞰的に捉える視点を本論で提示したい。(2021/4/23)

伝えたいこと

「人はどのように世界を捉えどのように関わって存在しているのか?」
この問いに対する答えが本論の中心命題となる。

人の営みを捉えるための視点は、事象を一様の基準で捉える自然科学が得意とする俯瞰的な視点ではなく、個人の主観に基づく行動の有り様に焦点を当てる方が適切であると考える。
この前提に基づき、個人の営みの中心をなす「行動」という概念を中心にその性質を明らかにする。この試みを通じて人の営みを捉える新たな視点を提示したい。

その視点とは「縦と横・行きと帰りの流れ」、略して「4つの流れ」である。
この考え方の妥当性を示すことを通じて、人の行動の質と量を捉える適切な視点を提示することを試みる。

例えば、宇宙から見た青い地球の画像は非常に正確に事実を伝えており、私たちがその星に生きていることに疑いはないが、実際の私たちの営みを描写するには不適である。これは精細な望遠鏡で拡大すれば良いだけではなく「科学的かつ客観的な視点」そのものが、私たちの営みを捉えるのには不適なのだ。
なぜなら私たちはその青い地球を望遠鏡でもカメラでもなく、その小さな身体の目で見て捉えて判断して行動して、営みを成立させているからだ。そのため人の営み(行動)を捉えるなら少なくとも「人がどのように青い地球を捉えているか」に関心を寄せるべきだろう。

この青い地球は一例に過ぎない。
実際に人は周囲にある様々な出来事に向き合って生きている。それらをどのように捉えて関わり生きているのだろうか?この疑問に答える視野を探ってみよう。

「4つの流れ」は、事象の全てを研究対象として解読してコントロールできるものとして扱う態度への反論の意味合いがある。頑張れば何とかなるという精神論に対する反論の意味合いも持っている。
更に言えば、人の望む行動のどこまでが可能で、どこからが無理なのかという見極めを追求するための考え方であるとも言える。(2021/10/5)

問題と解決の枠組みから

最上位の問題:近代人類の抱える問題の根源を正す考え方を見つけ出すこと

上位の問題:その考え方とは「自然/人間」の二元論を脱する代替となる存在論である

直接的問題:「自然/人間」の二元論は人間中心的な宗教観から派生したものだ。これは根源的な価値観であり容易に変えることができない。
そして、自然と人間を別々に追求する学問的な姿勢の表れである科学と政治学は、それぞれが事象を異なる合理性で捉えている。この研究方法にも問題の要因が見られる。

問題に対する着眼点と解決方法:それではどうすれば良いのか。見方を変えると人の存在の有り様は個人の行動によって規定される点に気づく。
人のあり方を示す中心となる要素は何か?この要素とは、人の性質を認知した上で現れる概念ではなく、その人の行動そのものなのだと気づく。
言い換えれば認知ではなく現象に本質があるのだ。

結論:よって人の行動(営み・やり方)を明らかにすることは人を明らかにすることを意味する。

本論を通じて、人の行動が科学的視点によっても社会科学的な視点によっても規定されない大きな枠組みの中にあることを示す。この枠組みの中に新たな人間観(存在論)を見つけるため、人の行動を明らかにする考察を行った。(2021/10/13)

4つの流れの基礎の統括

学問の世界では、この世界のあらゆる事象を解明するために様々な研究がなされ、事象を記述した大量の文献が存在する。
それらは言語で表現され、幾つもの文節の集まりである文章として存在している。この文献の全てを統合すれば世界の全てとは言わずとも多くの事象の理に迫れるのではないかと期待してしまう。その理に従って物事を考えて判断すれば道を誤らずに済むのではないかと。

この世界は何によって出来ているか?
世界の構成要素に着目して、なるべく広く多くの事象・事物を見渡してみる。宇宙から地球に至るまで自然科学の分野で研究されている自然環境全般について。ここで環境という語が出てくる。
私たちは人だ、そして人は社会という集団の一部として存在し、小さな力ではあるが社会に呼びかけたり働きかけることができる。その一方で人は周囲の社会の動きに影響を受ける。個人は集団を形成する周囲の他者と向き合い、集団と一体になって自然環境下に存在している。

自然環境の中で、人にとって特に重要なものは食料となる生物だろう。この食料に関わる環境要素の集まりを生物的環境と呼ぶことにする。
他にも環境には、人の行動にとって重要な要素がいくつか存在する。それぞれを肉体環境(身体も行動の周辺要素として環境の一部と捉える)、物的環境、情報的環境、人的環境、心的環境という要素に分類することにする。

上記の環境の分類は、個人の行動に関わる要素分析として捉える。これらの要素全てが人の行動に関わることに異論はないであろうし、ありふれた考えとも言えよう。既にそれぞれの要素は専門となる学問分野で探究が進められている。

これらの環境要素を総合的に捉える理論は存在するだろうか。仮に存在したとして、人の行動に関わる事象の全てをカバーして考察するのに妥当と言える理論となるだろうか?
考えられるのは複雑で膨大な各研究理論をただ集め、整理してつなぎ合わせただけのもの。これでは理解を助けるのに十分とは言えない。
もう一つ考えられるのは事象を極端に単純に大まかに捉えた観念的なものだ。これも理解できた(分かった)気にはなるだろうが、現実的な問題を捉えて判断する助けにはならないだろう。それならば、この両方の視点を合わせることで見えるものがあるのではないか。

こうした新たな視点を示すための手掛かりは、上述の環境の分類(本論では環境層と呼ぶ)を形成する要素の定義が適切になされることにある。これにより環境要素を正しく把握することができる。この定義づけのプロセスと、環境層間の分類の線引きをすることによって本論の基礎が築かれる。

次に着目するのが環境層をつなぐ因果関係だ。これについては自明と言って良い。7つの層は以下の4つの流れで関連している。

・逆らいようのない流れがある(横の行きの流れ)

・このうち何を捉えるかは私たち次第(縦の行きの流れ)

・そして流れに何をもたらすかも私たち次第(縦の帰りの流れ)

・この横の行きの流れと縦の帰りの流れがぶつかった結果(横の帰りの流れ)で何が生まれるかは分からない。(2021/3/4)

人生を記述する最も単純な文

人の生を最もシンプルに記述するなら

時間が経つ(←)・腹が減る(→)・食欲が湧く(↑)・食事する(↓)
※矢印は4つの流れに対応

以上の繰り返しになる。本論の4つの流れの大枠はこれで成立している。
当たり前に感じるだろう。それがどうして複雑でややこしい社会や文明や人生の姿になってしまうのか?これを明らかにできれば、単純さの中に潜む困難に気づけるか。

本論は何の役にも立たない取るに足らない内容かもしれないが、人の営みを何でも記述できる可能性はあると思う。よって最大の利点は何にでも使えること。誰にでも積極的に使ってもらうことで真価を発揮するので、そのような伝え方をしたい。(2022/6/24)

4つの流れの前提 時間と空間

縦と横・行きと帰りの概念の提示とその概要の説明。
自然界では様々な事象が因果関係を持ちながら複雑に絡み合っている。
因果とは時間の流れの中に観測されて認知されるものだ。そして、複数の異なる要素の関わりの中に意味を見出すことが因果である。
つまり、因果は時間の流れと空間の要素によって成り立つものであり、自然界の事象もそのような枠組みで捉えることが可能だ。
このような発想から時間と空間をそれぞれ2つの流れで捉えるモデルを構想した。これが縦と横・行きと帰りの流れの原型である。(2021/9/5)

物理的な視点で捉える4つの流れ

4つの流れは物理的な視点のみで記述できるかもしれない。

・横の行きの流れ(←)が地球の自転や公転の流れ。
・横の帰りの流れ(→)がその流れの中にあって個人の内的秩序が維持されている状態を保ったまま流されている状態。
・縦の行きの流れ(↑)は地球の重力に逆らって地面に立った姿勢を維持して脳に身体器官の情報が統合されてゆく流れ。
・縦の帰りの流れ(↓)は余剰のエネルギーを解放して身体運動を起こす流れ。

直感的に定義した4つの流れであるが、力の方向も含めて事象の実際の有り様に即した意味を持っているように思える。(2022/6/19)

行動の意味を説明すること

人の行動の意味を「離れた対象への働きかけである」という単純な理由で結論づけ、その行動を実現する仕組みを4つの流れで説明する。
そして本論を通じて、この事象への働きかけが世代を繋いだ時を経て、より精度を高めてゆく理由を説明したい。ここまで述べてしまうと応用になってしまうがその可能性を期待した理論だ。まずは基礎をしっかり記述して伝えられることが第一の目標だ。(2022/6/27)

4つの流れの概要

横の帰りの流れ(→)と縦の行きの流れ(↑)は個人の一時点の状態(概念としてのみ認知可能であり特定の現象として観察はできない理論上のもの)を示す概念だ。

そして、横の行きの流れ(←)と縦の帰りの流れ(↓)は時間経過に伴う力の働き(自然現象や行動など観察可能な事象を示す)を示す概念だ。

別の言い方をすれば、→と↑は秩序(道理の内側へ向けたもの)で、←と↓は自由(道理の現れた姿、外側へ向けたもの)になるだろう。

では横の帰りの流れ(→)と縦の行きの流れ(↑)、又は横の行きの流れ(←)と縦の帰りの流れ(↓)は同質のものかと言えばもちろん違う。
横の流れ(←→)は自然現象の大きな流れであり、縦の流れ(↑↓)は人の営みに関わる流れである点に大きな違いがある。この点において両者は互いに反する関係とも言えるか。

横の行きの流れ(←)は本来連続的なものであり、時間の経過に伴い過去から未来へ向けて続く変化の流れを示すものだ。
この流れに関わる物質が全て同質のものであれば、単調な一方向の変化となる。しかし実際には様々な物質が、多様な形態で存在しているため、その物質ごとの変化の強さや様態、変化の速さの違いによって異なる系や層が形成される。

性質の差異により、各物質は一方向の単調な変化を続けることができない。この物質の複雑な流れの一つから生まれたのが生物だ。遺伝子に基づく共通の仕組みで形成された組織を持ち、自律的に活動する。そして、その活動の傾向は縦の行きと帰りの流れ(↑↓)という概念で示される。

万物を動かす横の行きの流れ(←)から、生物として固有の系を持つ人による縦の行きと帰りの流れ(↑↓)が派生して、横の行きの流れ(←)の一部に状態変化を及ぼした結果が横の帰りの流れ(→)を形成すると言える。

まとめると
主要な流れが横の行きの流れ(←)として、そこから派生した流れの一つとして人の生を意味する縦の行きの流れ(↑)が生まれる。人の行動は縦の帰りの流れ(↓)となり、主流の横の行きの流れ(←)に逆らって変化、または状態維持を指向する。
その結果が横の行きの流れ(←)の中に横の帰りの流れ(→)として残る。

世の中の出来事がいちいち横の帰りの流れ(→)で止まって、その間に縦の行きの流れ(↑)で環境状況を読み込んだりする訳ではない。
実際には数々の横の帰りの流れ(→)が各層に積み重なりながら横の行きの流れ(←)は刻々と進む。瞬間ごとに縦の行きの流れ(↑)に基づく行動である縦の帰りの流れ(↓)が横の帰りの流れ(→)を刻み続ける。

物質の異なる特性によって区分形成された環境層について。
分かれた層ごとに、それぞれ同質か近い性質を持った物質が集まり、せめぎ合っている。そのせめぎ合いも横の行きの流れ(←)により進行する。そしてその変化は上の層に連鎖する。

その物質間のせめぎ合いの中から生物も発生した。この生物の特徴は、単調な横の行きの流れ(←)の中で固有の系を維持する横の帰りの流れ(→)を示す。

大きな自然の横の行きの流れ(←)と、それから派生した縦の行きの流れ(↑)。これが人を動かす縦の帰りの流れ(↓)となる。こうして現れた行動は横の帰りの流れ(→)で各環境層に影響を与える。(2021/2/12)

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