「行動」について


目次

行動とは何か

「行動」という見えない概念を書き出すために「行動ではないもの」を記述して、逆説的に導き出す。私はそんな試みをしようとしているのか。行動は言わば見えない未来への働きかけであり、常に未知でつかみどころのない概念。

その透明さに着目したのだ。それを「空」と呼んで綺麗なものと考えた。人にとって何かを「する」というのはそういうことだ。(2022/11/5)

行動を明らかにすること

まず、本論で明らかにしたいことは人の「行動」についてである。

文化人類学の文脈に当てはめるならば、文化という概念の意味するところの「やり方」の「やる」に該当する領域だ。

人の行動に関連する様々な事象は、膨大な記録や表現や記憶によって認識可能である。このように人の行動という概念は一見明らかな現象でありながら、その多様性によって一義的に捉えにくいものと言える。その特性ゆえに「人の行動」はその本質を軽視され、或いは気付かれないままになっているかのようだ。膨大な記録や表現や記憶の元となる現象であるにもかかわらず。

その行動が何によって成り立つか?行動の要因は主に心理学によって探究され、その行動の持つ意味は時に運命や宗教的な神秘性に託されることもあるが十分とは思えない。更に踏み込んで人の行動の性質と量を把握する視点を提示したい。(2021/10/23)

行動に着目する理由

人の営みを明らかにするための理論の大枠を築く。その営みを記述するキーワードとして行動という概念を取り上げた。

理論の大枠で明らかになるのは、主観的な視点を通して見えるその人固有の営みである。科学的な視野で客観的に一般化されて、一義的なものとして表現されたものではない点が大事だ。以下に大枠の最も基礎的な要素を示す。

①世界がどのように成立しているかの構造を把握する(空間)

②世界が日々どのように移り変わってゆくのかを観察する(時間)

③変わってゆく世界の要因の一つである人の営みに着目する(人の行動)

④その営みによって新たな世界が成立してゆく(現在から未来へ)

4つの要素のそれぞれが、異なる学問分野である①心理学と②自然科学と③社会科学と④歴史に該当する視野を示す。非常に広範に渡る分野であるが、それらの学問分野を統合整理した知見を述べるという大それた意図はない。それらの関連を示す接着剤のような視野の提示に留める。

この①~④のつながりと繰り返しの中に人の営みが見出せるのだ。そしてその中で重要な概念として行動を取り上げる。(2021/10/23)

行動に着目する意味

行動に注目することの意味。私たちの生の有り様の全体のうち行動という要素は、人が覚醒して意識がある状態にのみ見られる現象であると説明できる。この当たり前の行動という現象は個人ごとに、その時々によって様々な様態を見せる。その理由を探ることに人生の秘密があると考える。(2022/6/9)

「人の営み」と「行動」について

個人の行動に関わる環境要素は、⑴人の行動に関わる影響力の大きさの順に重なる層を形成している。これを「環境層」と呼ぶことにする。⑵各環境層の内訳である環境要素は様々な事象・事物が所狭しと存在しており、それらは個人に接して常に影響を与え続けている。

人の行動は個人を単位として現れることから、個人を中心とした同心円状に環境層が存在すると捉えることが可能だ。そして各環境層はそれを構成する環境要素で埋め尽くされていることから、個人を中心とした球状の環境要素で覆われているとも捉えられる。これは概念的な社会構造を示す心理学者のブロンフェンブレンナーの生態学的システム理論の図とも似ている。

球状の層の最も外側が自然環境であり最も堅く強い影響力を持つ層だ。中心に向かうにつれて柔らかく弱くなって行く。その中心にあるのが個人の身体であり、その身体の中心的要素として「行動」という概念を位置付ける。これは他の環境層のように物的な特性や状態としては定義しづらい要素だ。
環境の中心の要素として定義づけた概念であることから、行動を環境と呼ぶのはおかしい。しかし行動は「人の営み」を規定する最も重要な概念であるから、営みの周辺要因と考えることもできる。よく検討して定義をはっきりさせよう。しかし人の存在を意味づける中心的な概念を「行動」か「営み」のどちらか特定することが本論の主旨ではない。ここでは、「人の営みを規定する中心的な概念としての行動」と定義する。

環境層について、個人の周囲を覆う球状の膜のような概念として捉えるならば、世界は個人を中心とした環境要素の塊である球がその個人の移動や行動をはじめとする営みに同期して移動するものであるという見方も可能である。

従来の科学的な視点では、万物に共通の普遍性のある因果法則に基づいて人は生きているという想定である。よって個人を中心とした丸い世界の像は哲学や心理学の範疇に収められるだろう。

だが全ての人類が共通の法則に基づき存在しているという科学的な視点は、実は科学的ではないと考える。言わば科学的な知見に基づき否定された天動説が未だに人を理解するために用いられているようなものである。「科学的な知見に基づく人類」という画一的で普遍性のある唯一の存在を想定することは、大地を平面に見立てることに等しいと思う。文化相対主義が唱えられる現代において、このような画一的な人間観は受け入れ難いのではないか。

(1・事実)
上の記述から導かれる人を取り巻く環境要素の有り様は正しいと言える。社会心理学や発達心理学の考え方である。入れ子構造とも言われる。

(2・分析)
人の存在を意味づけるものの中心には何があるのか?明らかにしようとしている人の行動を取り巻く環境要素について定義づけをしたが、そもそも人の行動とは何かという点を明らかにする分析を行う。人の行動は環境の要素分析の対象から外れる唯一の要素である。行動とは個人の身体が環境下に存在して、特定の場所で周囲に何らかの働きかけを行うことだ。この事象は身体の「移動」を含めた環境下への位置取りと、その環境下に身体を位置付けた状態で起こす「行為」の二つの要素に分けられる。

(3・結論)
行動は人の営みを記述する中心的概念である。

(4・分析方法の適切さ)
人の営みを生み出す要因は何かという問いには環境要素であると答えられる。あるいは人の自立性や個性や創造性であるといった反論も考えられよう。しかし、人の営みとは何か?と問われればそれは人の行動によって規定される、あるいは行動そのものであるといった答えに異論はないであろう。(2021/10/13)

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